白黒部屋のねこたまご

気ままに花咲く思索の庭園。物語や理系関連に対し益体もないことを呟くブログ。

エロゲの演出効果『○○フロー』のお話 up,down,side…それらの効果とは?

 

TwitterみたいにGIFが貼れれば説得力が増すんですけどね。そうはいかないか、さすがに。 

 

エロゲを始めとした数多くの映像媒体には、数々の動的演出効果というものがあります。

それは時に、観客に慢性を阻止する刺激のためであったり、物語的な伏線を秘めた効果だったりと用途は様々。

一見地味に思えるわずかな動きでも、それがあるのとないのとじゃ大違い…ってことも珍しくない。それだけ、視覚的な演出効果って効力のあるものなんだと、最近痛感しております。

 

そんな中、今日は特にエロゲなんかでよくみられる”○○フロー”の意図とその心理的効力について、考察していきたい。

 

文字、映像と、ふたつの視覚効果を得るエロゲにとって、動的演出効果はもはや作品の命と言えるもの。

中でも頻繁に使われるフロー演出とは、いったいどのようなものなのか、具体的にどういった効果を期待できるのか。色々考えてみたので書いていきたいと思いまする。するする。

 

 

 

 

 

初歩的な話。まずフローとは?という疑問について。

 

まぁ、大学生やサラリーマンなんかはPowerPointでよく目にしているものなんじゃないですか。私は使わないけど(フェード派)。 

フロー……flowとは、”流れ”を意味する単語で、文字通り一方向に流れていく演出効果のことを指す。

PowerPointでよく見られるのはアップフロー、ダウンフローだろうか。

アップフローは下から上へ、うなぎ登りのように上がっていく演出。

ダウンフローはその逆。上から下へどんどん下りていく演出のことだ。

 

だけどことエロゲにおいてはその二つはあまり見られない。

多く目にするのは上下ではなく、左右ではないだろうか。

 

 

 

 

さて、本題となる疑問はそこだ。

 

なぜ画面を左右に動かすのか?

 

 

 

 

 

…そうした方が視覚的に飽きないから…というのはまあそうなんだけど、こと映像界では”左右”というのには何かしら意味があったりする。

 

 

 

たとえばこれ。

Heartsの『恋するココロと魔法のコトバ』の冒頭部分。

 

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ちょっとわかりにくいが、これははじめに背景CGの全体像(一枚目)が出て、ある程度テキストが進んだら少し画面をアップして左方向にフローしている(二枚目)。

変化のタイミングは画像にあるように、主人公の適当な述懐からこの街の説明に入るときである。

 

 

だいたいフロー演出の際はこうやって画面アップを入れてからやる場合がほとんどだが、まあ正直このアップには大して深い意味はないと思われる。

視覚的なリセット、あるいは注目させたい対象に焦点を絞らせているだけであろう。

 

それよりも、なぜ左に流れるのか?というところ。

 

街の説明に入るとき、画面が左に流れることで、我々は何を感じ取れるだろうか?

抽象的過ぎて表現が難しいが、できる限り書き連ねてみよう。

 

・情緒的なうら悲しさ

・主人公目線で『ああ、こういう町並みだったなぁ』と懐かしむ感覚

・なんだかすっきりしないもどかしさ

 

…うん、まあこんなものでいいかな。総括すると、後ろ髪を引かれているような、過去になにかを置き忘れているような感覚に陥ってしまう(私は)

シーンにもよるけどね。

 

 

 

 

 

対して、右方向へ向かうフローはどうだろか。

もし同じ場面のフロー方向を変えた場合、どのような感覚を与えられるかを想像してみる。

 

・これから何かがはじまるんだという高揚感

・主人公のウキウキ感や希望

・晴れ晴れしい気持ち

 

…ちょっと無理がある?けど、私はこんな感じ。

全体的に、前向きな印象を与えられる気がするのだ。

 

 

これは個人によって詳細な受け取り方は変われど、どっちにしてもフローによって感受的ななにかを与えられることは間違いない。

画面が左右に揺れ動くことによって、主人公の気持ちに一歩くらい近づけたような気になれる。

 

 

というのも、これは映像界隈で昔から言われているあるひとつのルールに従うと思われる。

映像界において、右方向は未来志向を示し、左方向は過去志向を示す。それは、私達が普段目にする時間軸の方向に沿っているからだ。

というもの。

無意識的に私たちは時間軸を左から右へと定式化しているので、どちらにモノが流れるかで受け取る感受が変わってしまうのだ。

 

具体的な例としては人物が向いている方向をそのルールで決めていることがほとんどか。

アニメ版の『グリザイアの楽園』のED、『ぼくらの』のOPの、ちょうどサビの部分でそれが見受けられる。主人公たる彼らが夕陽の中を左方向に向かって走っているが、このルールに沿えば、彼らは過去に向かって進んでいる――すなわち過去にしこりを残していることの演出になる。

 

…言われてみればそんな気がしないか?

え、そうでもない?

 

 

同じように、前述した左右のフローにも同様な演出効果が含まれていると見受けられる。

左に流れるフローは過去への回想を表し、後ろ向きな表現に使われる。

右に流れるフローは未来への希望を表し、前向きな表現に使われる。

 

こうして定義してみると、より物語に厚みを持たせられるのではなかろうか。

 

もちろんシーンにもよるし、CGに描かれている物の俯瞰角度なんかによって使い分けているというケースもあるだろう。

しかし、動的な演出効果をちょびっと加えることで、読み手に与えられる感受的情報量が増えるというのは、このようなノベルゲーム媒体の特権であるようにも思えるのだ。

 

 

 

 

さて、左右は良いが、それでは上下はどうだろう。

 

私自身、上下のフローはほとんど見たことがないが、それもそのはずで、横に長いPCの画面で、縦に長いCGが使われることは少ないからだ。

横長のCGにも上下フローが使われることはなくもないだろうが、左右に比べれば俄然に優先度は低い。

 

単純な話、おそらく見にくいからだろう。

 

上下方向には左右と違って、時間的な流れがない。

抽象的な時間的流れがあることによってその映像には立体感が生まれ、与えられる感受が増えるわけだが、そのルールがない上下には、与えられる立体的な感受が少ないのであろう。

 

全くないわけでもない。理屈をこじらせれば、該当しそうなルールは多々ある。

たとえば、重力的な流れとかか。

”物が下に落ちる”という無意識的なルールを映像に組み込めば、左右同様、上へ流れるのは前向志向、下へ流れるのは後向志向、と見れなくもない。

 

あるいはもっと深く追求して、上へ流れるのは物理法則を歪めるくらいの前向きな志向、下へ流れるのは物理法則に抗わない自然に従った後向きな志向……と拡大的に解釈することもできる。

 

……言われてみるとそんな感じしないかな?

 

 

 

 

とまあ、こんな感じで、上下のフローにも左右同様、感受の情報を与えられる効果があるんだってことだ。

 

物語というのは、我々の生きる現実世界とは隔離された、まったく別の世界の話ではあるが、それを見る我々の目はやはり自分の経験則に基づいている。

人が泣いていれば、その人は悲しんでいるんだと。

眉毛が吊り上がっていれば、その人は怒っているんだと。

そんな些細な解釈も、我々の現実世界で得た知見を活かしているからこそのものだ。

 

同じように、上下左右に画面が揺れる演出にも、我々の現実世界での経験則に基づく感受があるはずなのだ。

左右には時間的な流れが、上下には物理法則的な流れが…というように。

 

そういった、我々の現実世界での些細な経験則を刺激して感受を与えてくるような技術こそ、映像媒体の”演出効果”というものだ。

 

 

それらを丁寧に活かしている作品というのは、やはり読み手に訴えかけてくる感情も大きいものになる。

ノベルゲームには、それを増長させる無限の可能性がある。

 

 

読み手に感受的な刺激を与えるフロー演出。

突き詰めてみれば、更なる可能性が出てきそうだ。

 

 

 

 

 

 

了。

 

 

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