白黒部屋のねこたまご

気ままに花咲く思索の庭園。物語や理系関連に対し益体もないことを呟くブログ。

『恋×シンアイ彼女』考察 二人のたどり着いた恋愛観とは

 

 

 ネットでもいいけれど、たまにはリアルで思いっきりエ口ゲの話で盛り上がりたいなって思うことがありまして。

話せる相手は結構いるんだけど、ほらエ口ゲの世界って狭いようでとても広いから趣味趣向が合わない場合がほとんどなのです。

 

特に、私が大好きな作品ほどみんな未プレイだったりする場合が多い。

逆にみんなが大好きな作品ほど、自分はやっていなかったりする。

それはそれで会話が弾んで楽しかったりしますけどね。

 

 

そんな十人十色なプレイヤーばかりだからこそ、話をより広げられるような質問が、ひとつ、ありますよね。

 

 

あるいはそれは、エ口ゲにそれほど造詣の深くない人からもされる質問です。

 

 

 

 

 

 

『ねぇ、君の一番好きな作品はなに?』

 

 

 

 

 

 

 

うむ。

じゃあ教えてあげよう。

 

それは、誰にも理解されない恋をつづって生きてきた、二人だけの恋物語だ。

 

 

 

 

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*ネタバレ注意!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前置き

 

というわけで、私の一番大好きな作品『恋×シンアイ彼女』の感想が今日のメイン。

感想っつーか考察がメインなんですが、私が今回テーマとするのは『洸太郎と星奏の恋愛観』です。

 

批判の声も多いLast Episodeで、洸太郎と星奏のあの行動の背景と、詳しく語られなかった彼らの恋愛観、その良さを、私なりの解釈で考察していきたいと思う。

 

なもんで、星奏がらみのない他のルートはほぼ無視していくつもり。

あと、あらすじとか詳細な出来事の流れとかは書きません。

考察って言ってるのでわかると思いますが、プレイ済のユーザー向けの内容になっております。あしからず。 

 

 

 

ちょっと長文になるので、暇があるときにでもお読みいただけたらと思います。

 

 

 

*2019/1/19 追記&編集

恋愛観についての考察をより深く行いました。

 

 

 

 〜目次〜

1.『恋×シンアイ彼女』が批判された理由について

……”納得”のできない恋愛観

2.アルファコロンを巡る二人の想い

……書き手である洸太郎の中途半端な恋愛観

……読み手であった星奏の抱えていた気持ち

3.姫野星奏の葛藤

……”恋”の正体について

……終章での覚悟

4.洸太郎がたどり着いた先

……”愛”の正体について

5.まとめ 二人のたどり着いた恋愛観

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.『恋×シンアイ彼女』が批判された理由について

 

 いきなり本題から反れる話題だが、本編の考察に当たって今一度確認すべき重要なところなので語ります。

 

某批評空間、およびAmazonレビューなどで多くみられる批判内容はおしなべて”Last Episode”に対する批判が主でした。

星奏だけは許さない。他のヒロイン、個別ルートまでは良かった。そんな声が多々。

 

彼らが不満に思っているのは個別ルートの終わりからLast Episodeまで続いた星奏の造反行為のような行動に対してであり、幼い頃から一筋に星奏を想い続けた洸太郎が何度も裏切られて、結局最後まで報われなかったことに腹を立てたゆえの批判だったように思えます。

 

確かに星奏はしっかりとした話し合いの場すら設けず、逃げるように洸太郎の前から去っては寂しくなって帰ってきて、また機が熟したら逃げるように去る、というのを何度も繰り返してきた。

腹が立つのも仕方ないように思う。

 

よくスカッとジャパンや2chの板にあるような「浮気された話」になぞらえれば、妻に不倫されたけど責めることもできなくて結局そのままお流れになった、みたいな感じになるでしょうか。

事実、同じような怒りをこの作品で覚えた方が多いのでは?

 

 

はじめからそういう作品であることをほのめかしていれば良かったものの、発売前の「ささやかな恋を描く」という宣伝で普通の学園ものという印象を与えてしまった分、いざ蓋を開けてみればこのエロゲヒロインらしからぬ身勝手さが波及して、姫野星奏は、そして『恋×シンアイ彼女』はバッシングの嵐に見舞われたのだと私は見ております。

 

 

つまり、多くの人が二人の結末に”納得できなかった”

 

 

 

メーカーに対して四の五の言っても仕方ない。

私はあくまで物語について語るつもりでいるので、肯定派から見るこの作品の私見を言うと、

 

この作品にサクセスストーリーを望むのは筋違いだということ。

 

そして、その”納得できない恋愛”こそがテーマになっていたということ。

 

 

です。

以下、それらについての本題に入ります。

 

 

(関連しそうな記事→作品に対する読者の”責任” あなたのその目は本当に正しいの? - 白黒部屋のねこたまご

 

 

 

 

 

 

 

2.アルファコロンを巡る二人の想い

 

 

つまるところ、俺の恋愛観ってやつが、中途半端だからで、俺はそれを自覚しているからなんだ。

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎

 

 

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 本作の主人公である彼を語るうえで決して欠かせないのは、彼が書いた小説『アルファコロンシリーズ』。

作中、点々とその描写が見られるだけで全体像こそつかみ取れないが、私はそのアルファコロンに書かれているものこそ、國見洸太郎の中途半端な恋愛観だと思っている。

それはいったいどういうものか。

アルファコロンで描かれた内容と彼の言動から、まずはそれを推測していこう。

 

 

 

アルファコロン……星の音を奏でる少女と、それに惹かれた少年のお話。

 

 

初プレイ時、私はこのアルファコロンの話の中で、アルファコロンが洸太郎の比喩だと考えていた。

そして星奏の方が少年で……

 

でも最近考えるに、それは半分正解で半分間違いだと気づく。

 

 

つまるところ、それは読み手やその時々の立場によって変動したりする。

  

夜空から振る星の音を楽しみに聞いていたのはどちらだったか。

そんな少年のために自分の正体を明かさず演奏し続けたのはどちらだったか。

 

洸太郎も星奏も、状況によってどちらにだって該当する。

 

 

星奏に憧れ、星奏に届けと願い、星へたどり着きたかった気持ち。

洸太郎を想い、洸太郎がくれた星の音を胸に、星になろうとした気持ち。

 

 

洸太郎も星奏も、そのお話の登場人物それぞれに自分を重ねていたのだ。

 

 

 

 

洸太郎がそんなアルファコロンの話を書くのは決まって星奏に振られた……星奏に自分の元から去られた時だ。

自分の失意、失恋の気持ちを、ふたつの立場から彼は表現する。

今の自分がどういう感情か。相手にどうなってほしいかなど、物語に自分の理想をつき込める。

 

でもそれは決して恨みとか、マイナスな感情を押し込めたものではなく、彼はただ、星奏を追っていたいという想いだけのもとで筆を動かしているのだ。

 

 

どうして俺は、小説を書くんだろう

 

俺が小説を書いて、もしそれを彼女が読んだところで、どうなるっていうのか。

 

ただ、俺もまた全力で何かをしてないと、あっという間に、彼女を見失うような気がした……。

 

そうして全力で俺も走っていれば、一瞬でも、彼女に会えるような……そんな気がした。

 

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎

 

 

全力でなにかをしていなければ、本当に彼女を見失っていまう。

けれど想いをどれだけ小説にとどめたところで彼女に届くかどうかはわからない。

……だけどやるしかない。彼女を思うといてもたってもいられない。

そういう想いの表れが、アルファコロンという物語になっている。

 

 これこそが洸太郎の”恋愛観”なのではないだろうか。

 

 

 

 

星奏ルート終盤にて、彼女の存在がGLORIOUS DAYSという、自分の想像していたよりずっと大きなものであったと知ってからは、洸太郎の中のアルファコロン(=星奏)はより大きなものになった。

 

アルファコロンの中に、このようなシーンがある。

 

――夜空が届けてくれたと思っていた曲が、かつて路地裏で会った少女の奏でていたもので、少年はそれを自分の曲にしてしまっていた――

 

このシーンから読み取れるものはすなわち、洸太郎の星奏に対する印象にある

小説を書き続けていた自分はいつの間にか星奏の才気あふれる輝きに魅入られていて、つまるところ自分の小説とは星奏がくれた星の音であり、星奏がいたからこそ書けたものであった。ということだろう。

 

でも、そんな輝きをくれた星にはたどり着けやしない。

 

だからアルファコロンは少年の前で姿を見せられず、最後はそのまま去っていってしまった。

『アルファコロン、それは路地裏に、夜空に。誰かが見た、浪漫だよ』

『さよならってこと』と。

自分では、星奏のような存在のそばにいられないと悟っていたから。

 

つまりアルファコロンにしたためていた洸太郎の感情というのは、おしなべて星奏への憧れであるように思う。

 

洸太郎は、憧れだけで終わってしまうような恋心だから中途半端だと自嘲していたのだ。

 

 

 

 

 

 

では読者側だった星奏はどのようにこの作品を読んでいただろうか。

 

それは、高校生となった彼女が突如故郷に帰ってきたその目的から推測できる。

 

 

作曲家として陥ったスランプからの脱却――彼女はそれを“星の音を聞きに来た”と称していた。

 

星の音――それはアルファコロンの引用句である。

 

星奏にとっては、あの小説の中の”少年”こそが自分の方であり、夜空から星の音を与えるアルファコロンが洸太郎の方なのだ。

 

アルファコロンとは少年にとって憧れであり、自分の原点であり、決して届かない存在の象徴でもある。

 

話の中で、少年が新進気鋭のピアニストとなって演奏会をするシーンがあったが、そのとき少年は路地裏で聞いた曲……すなわちアルファコロンによって届けられた曲を、自分のものとして演奏する。

この話から、自分の才(洸太郎にとっては小説を書く動機、星奏にとっては音楽を作る動機)をくれた出発点はアルファコロン――星奏にとって洸太郎にあったのだと考えることができる。

  

洸太郎自身は星奏を想って書いた作品でも、読み手側になった星奏からしたら自分こそ少年の位置にいるのだと考えるだろう。 

つまり星奏にとってアルファコロンという作品は、音楽を作りはじめたその初心に還ることの出来る作品となっているわけだ。

 

 

だから彼女がスランプになって戻ってくる場所は、いつだって洸太郎のもとなのである。

洸太郎がいたから音楽があり、音楽があったから洸太郎を想えるのだから。

 

GLORIOUS DAYSの代表曲「GLORIOUS DAYS」の歌詞中にもその断片が見て取れる

 

 

どこかで聞いた  メロディ

誰にも  届かなくてもいい

たったひとり 君のために

 

 

まだおそらく中学生だった頃。

初恋の彼からもらった恋文を、『そんなもの捨ててしまいなさい』とメンバーにどやされ、ずっと寂しい思いをしながら遠くにいる彼を想って手掛けたこの曲には、想いは届かないとわかっていても届かせずにはいられない、彼女の“恋”が綴られている。

 

きっと彼女は、そうやって遠くにいる洸太郎を想い続け、いつかアルファコロンの中で語られていた『会いたい人に会うなら、有名になればいい』という言葉を信じて音楽を作り続けていたんだ。

 

他でもなく、洸太郎に恋心を届かせるために。

 

 

わかるだろうか?

二人は小学生のときのあの告白以降、ずっとすれ違いの恋をしていたんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

3.姫野星奏の葛藤

 

 

 

 

「つらくなって、一人になって……」

 

「でも、そうしたら……洸太郎君に会いたくなる」

 

「一人はいやだから」

 

「卑怯でもなんでも……やっぱり好きだから」

 

 

 

 

  

 彼女の行動の背景を語るにあたり、『姫野星奏は本当に洸太郎を好きだったのか?あるいは洸太郎に本気で恋をしていたのか?』という議論は実にナンセンスであり、彼女にとって音楽と洸太郎は、切っても切り離せないくらいどちらも大切なものであったというのはもはや疑いようもないことだというのを、まずは押さえておきたい。

 

アルファコロンのめぐる星奏の想いを考えればわかるとおり、欲を言えば音楽も洸太郎も、どちらも手にしたいほどかけがえのないものだった。

だけどGLORIOUS DAYSの仕事状況や、メンバーや事務所の間で抱えている問題などのせいで、どちらをも手に入れることは現実的に不可能だったのである。

 

この背景があるのに、某レビューで言われているような「洸太郎を裏切るな」という通りにすれば、星奏は音楽を失うことにも繋がる。

同時に、洸太郎自身も小説を失うことにも繋がるだろう。それは、どちらも星に届いてしまう事に他ならないから。届いてしまえば、前みたく手を届かせたいと願う必要がなくなるから。

 

そして、それこそが”恋”というものの正体であるように思う。

 

 

…恋をする気持ち、というのを感じたことがあるだろうか?

好きで好きでたまらない。あの子がほしい。あの子の側にいたい。心臓がはち切れんばかりに高鳴って、もう何もできなくなる。そういう感情のことだ。

 

しかしどうだろう。いざ恋が成就した後、そういう感情ってなくなってしまわないか?

側にいてドキドキすることはあっても、もう手に入れてしまったのだから「あの子が欲しい、あの子の側に居たくてたまらないんだっ!」ってのたうちまわる必要はない。

手に入らないものを願って焦がれることはもうないんだ。

 

つまり、恋は叶った時点で恋じゃなくなるのだ。

 

 

恋というのは、求めても手の入らないものに対して、それでも手を伸ばさずにはいられない渇望の顕れなのだ。

 

 

それじゃダメでしょ、叶わなきゃ意味ないじゃん、というのはわかる。

しかし、恋は叶ってこそ恋というその考えが、星奏たちの想いから自分たちを遠ざけているようにも私は思う。

 

前述したGLORIOUS DAYSの歌詞についてもそうだが、アルファコロンの物語観からも、この”恋”の考え方は見てとれると思う。

 

こういうと勘違いされそうなので念を押しておくが、別に星奏はそういう恋をしたくてわざと洸太郎から離れた、ということを言いたいのではない。

むしろ、そのような恋にはなんのメリットもない。だって想うだけ想って結局叶わないなんてつらいだけでしょう?

しかし星奏はその道を選んだ。音楽を選択しながら、心ではずっと遠くにいる洸太郎のことを想い続けた。

他でもなく、そうするべきだと思ったからなんだよ。

 

叶う叶わないの二元論じゃないんだぞって話。

 

 

 

それが顕著にみられるのは終章だろうか。 

 

バンドが解散し、すべてをやり切って、もう思い残すことはないと言って星奏は再び洸太郎に会いに来たが、メンバーが事務所の負債をかかえていることを知ってふたたび洸太郎のもとを去って音楽界を駆けまわる。

その際洸太郎に残した置手紙にはメンバーの負債や今後の自分について一切記しておらず、すべて自分一人で抱え込んで、『二度と姿を見せない』とまで誓って去っていったのだった。

 

 

なぜ、星奏はまたも洸太郎を裏切ったのか?

『二度と姿を見せない』って、なんでそんな残酷なことが言えるのか?

やはり洸太郎よりも音楽…あのバンドのメンバーのことが大事だったから、結婚を申し出ても断って出て行ってしまったんじゃないか?

…それは、あまりにも勝手すぎないではなかろうか?

 

 

確かにそうだろう。

けれどそれこそが、彼女の葛藤の末に見出した”恋”の道なのだと思う。

 

その答えとなる一文がこれだ。

 

 

「あなたはただ、全力だったんだと思います」

 

「あなたが全力であるべきものに対して」

 

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎

 

 

 

全力…それはいったいどういうことだろう。 

 

彼女にとってそれは、洸太郎という星の音を頼らないという決死の覚悟の表れであったんじゃなかろうか。

 

負債の話をすれば、きっと洸太郎は協力してくれるだろう。

だけどそれではいけない。メンバーたちが必死な思いで生きてきているのに、自分ばかりが安寧にうつつを抜かしたままメンバーを助けにいこうだなんて、そんな甘えたことがあってはならない。

…彼女はきっとそのような考えのもとで、洸太郎のもとを去っていったのだ。

 

洸太郎と音楽を、両手で持つことはできないから。

 

しかし、それでも長年にわたる洸太郎への恋心が消えることはない。 

そもそも、高校時代からたびたび故郷の地へ帰ってきていたのは、それだけ洸太郎のいない世界は寂しくつらいものだったからだと嘆いていたこともあった。

そんな苦痛の経験が二度もあるのに、このとき彼女は以降ずっと、記憶の中の洸太郎を思い浮かべるだけの恋に生きていくことにしたのだ。

 

彼女の中で、遠くで洸太郎を想うだけの恋というのは病同然のつらいものであるはず。

 

星奏は、叶わない恋という重病を背負う覚悟のもとで、

永遠の寂しさを承知のもとで、

自分の幸せも想いもすべて捨て去って、

極限まで自分追い込むくらいしなければ、負債を抱えた友人を救えない…音楽を貫けないと判断したのだ。

 

 

ずっと昔、あなたが勇気を出して手紙をくれたこと

 

そして指輪の箱をさしだしてくれたこと

 

あの瞬間を、ずっと大事にしながら私は生きていくと思います。

 

 

 

 

 

これが、姫野星奏の全力の”恋”だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.洸太郎がたどり着いた先

 

さて、そんな星奏を最後まで見届けた洸太郎の行きついた先こそ、この『恋×シンアイ彼女』の致す最後と言えるだろう。

 

思えば洸太郎の恋というのは本当に一途なもので、彼は幼い頃からずっと星奏を追い求めて生きてきた。

一瞬届いたかのように見えたその想いが二度三度と破られてきたとしても、もう二度と星奏に会えることはないとわかっていても、星奏を一途に想い続けていた。

 

星奏への恋に生きてきた、と言ってもいいくらいの乙女な人生だ。

 

 

しかし彼の気持ちは星奏と似ているようで若干違う。

アルファコロンが星奏への恋が叶わなかった時に書く小説であるように、洸太郎にとってはなにより先に星奏への恋があり、その想いを綴るために小説があるのだ。

音楽と洸太郎、どちらも同じくらい大事だった星奏とはそこが異なる。

 

失意ののちにルポライターになった終章の洸太郎を見てみよう。

 

長年の下積み期間を経て彼が起こした行動は、星奏のいたGLORIOUS DAYSの特集を組むことだった。

大人達の世界に葬られた彼女たちの叫びを代弁するかのように、彼は必死で取材をしては世間に記事をばらまく。

それは当てつけでも、社会への怒りでもなんでもない。

星奏たちが抱えていた闇を世間に理解してほしいとか、そんな気持ちはあったのかもしれないけど、実際それは些細なものだろう。

 

彼の書いた記事は、ただただ、彼の中途半端な恋愛観そのものの表れでしかなかった。

 

 

どうしてルポライターになったのか

 

それはもう、アホらしいくらい単純なことで

 

つまり、俺は、星奏を追いかけたかったんだ

 

彼女の、その痕跡の最先端まで、行ってみたかった―

 

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎 

 

 

しかし結果、それはどこにも届かなかった。

 

記事は世間を揺るがすことはなく、挙句の果てにルポライターを首になって、星奏へ向けた小説を書き始めるも、それすらも星奏のもとへ届いたかどうかはわからない。

世間ではブームにもならず、さびれて風化していくような寂しい結果に終わったことだろう。

 

ただの憧れから起こした行動は、結局はどこにも届かせられなかったのだ。

 

 

それなのに、そんな叶わない恋を背負って懸命に生き続けたその長い日々を、洸太郎は最後にこうつづっている。

 

 

「いろんなものを犠牲にしながら君が駆け抜けた先には、もしかしたら、寂しさだけ待っていたのかもしれません」

 

「君を全力で追い求めた俺もまた、どこにもたどり着けませんでした」

 

「だけど思い返すと、その季節はとても美しく輝いています。

なにものにも代えがたい、宝物です」

 

手紙は…彼女の心を揺さぶるほどじゃなかったけれど。

 

俺が願ったような形でなくても、ちゃんと届いていて。

 

彼女が一時でも、それで慰められたとしたら、すべては、なにも、無駄じゃなかった。

 

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎

 

 

 

自分の想いは届かなかったというのに、彼はどうしてかとても前向きになれている。

この心情はきっと誰にも理解されることはないけれど、それでも確かに洸太郎は小説に自分の想いを書き続け、星奏へたどり着こうとする思いを捨てなかった。 

 

たとえそれが届かなくたって、届かせようとがんばったという事実さえあれば、洸太郎にとってはそれでいいのだ。

 

そして、そんな思いが少しでも星奏に伝わって、ほんの少しでも慰めになれたらそれでいいと言うのだ。

 

本当に、どこまで純粋なのだろう。

何度裏切られても星奏を好きでいることは変わらないから、自分はそのために行動を起こす。それで星奏を慰められればいいんだって思える。

 

ここからわかるように、洸太郎にとって裏切られたという事実は重要じゃない

また、星奏に自分の想いがすべて伝わったかどうかというのもさして重要ではない。

 

ただ、洸太郎は星奏のことが好きだった。 結果がどうであれ、星奏を好きでいたかった。

 

 

 

 

そういうのを、人は”愛”というんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.まとめ 二人のたどり着いた恋愛観

 

二人の辿り着いた最期を考察することで、恋と愛…そして”恋愛”というものの正体をはじめて言及することができる。

 

恋というのは、求めても手の入らないものに対して、それでも手を伸ばさずにはいられない渇望の顕れ

ようするに、叶わないことを前提とした感情こそが真の恋なのだ、ということだ。

 

振られてから長年空虚な生活を続けてきた洸太郎も、たびたび洸太郎に会いに来たくなるほどひとりが嫌で寂しかったという星奏も、そんな報われない恋心を抱えながら、全力で日々を生きてきた。

洸太郎はルポライターになってまで星奏を追い、星奏は自分のすべてを投げ打ってメンバーの負債に身を投じた。

 

 

しかし彼らの行動はまるで意味がないし、理にかなっていない。

やっとの思いで掴めた安寧の幸福を投げ打って仲間のためひとりで奔走する星奏も、 友人を救いたいなら洸太郎に協力を仰ぎ効率よく救えばいい。

ただバンド解散の真相を連ねた記事を書きなぐる洸太郎も、星奏にたどり着きたいなら書き物なんかしてないで探しに行ったらいい。

 

 

わかっていても彼らがそれをしなかったのは、それは全力じゃないと判断したからだ。

そうすることで目的を達成しても、きっと望んだ世界にいけないと判断したからだ。

 

なんて胡乱な理由だろう。しかしそれこそが彼らの選んだ道であり、彼らにとって価値のある世界なのだ。

 

 

 

 

叶わない恋がつらいものだというのなら、

 

そしてそれをどうしても拭い去ることが出来ないのなら、

 

届かないことを承知で、全力でそれを追い求めることこそが、“叶わない恋”に対する我々のあるべき向き合い方なのではないだろか。

 

きっとそれが届かなかったとしても、その日々を無駄と感じないほど全力だったならば、叶わない恋でも悪くはないと思えるんじゃないだろうか。

 

 

事実、洸太郎はそうして生きたそれらの季節を苦痛と言わず、宝物だと称したのだ。

 

そう思えるようになったのは他でもない。

彼はただ必死で、全力で、彼女を追い求める自分の恋に忠実だったからだ

 

 

「恋をしたら、どうしたって舞い上がらずにはいられない」

 

「そこでがんばるか、がんばらないかは、もう、そいつ次第で」

 

「もちろん、空回って、滑稽な落ちになることはあるだろうけど…」

 

「俺はがんばることに決めたんです。もう、ずっと昔に」

 

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎

 

 

 

 

そして、最後にようやく星奏の世界にたどりつくことのできた洸太郎は、彼女の全力の人生を称え、自分はその一部になれたことを誇りに思うことができた。

 

それが洸太郎の”愛”だ。結果や理屈に左右されない、変わらず好きだという気持ちを尊重する感情なのだ。

 

 

 

二人はお互いを”恋する”ことから始まって、”愛すること”に執着した。

これが二人のたどり着いた”恋愛観”である、といってもいいのではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

とてもささやかなもののために、俺たちは、全力で、あの日々を生きた。

 

こっけいでもつたなくても、必死だった。

 

 

恋×シンアイ彼女 國見洸太郎

 

 

恋×シンアイ彼女』で見られた”恋愛観”は、届かないものを届かせるために全力で生きるということだった。

 

なにかひとつ、自分の想いに全力になれるものがあるのだとしたら、その結果がどうであれ、きっとその先には他の者には見えない素晴らしい世界が待っているのだろう。

 

 

 

きっと、そんな日々がGLORIOUS DAYSなんだ。

 

 

 

 

何回 同じことを したって

意味は ないけど

それが くだらないことだって 分かってるけど

grow up そうやって 僕ら きっと

選んできたんだ

ここが 自分たちにとっての

素晴らしい世界―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんの日々は、GLORIOUS DAYS ですか?

 

 

 

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了。

 

昔、大学のとある授業の課題で「恋とは何か」というテーマについて書かされたことがあって、ちょうどいいのでこの作品を題材に考察してみましたというレポートを提出したところ、問答無用でC評価を食らいました。

 

 …解せぬ。