――”神様”はいつでもそばにいる――『神様のような君へ』プレイ後感想
久々のエロゲ語り。
最近は色んな方面で多忙を極め、大好きなはずのエロゲに割く時間が激減しつつあるという由々しき事態に陥っちゃっています。
おかげで最新のエロゲはおろか、ここ最近なにが流行っているのか、世の情勢に対するアンテナが完全にさび付いてしまっており、もはや老害と呼ばれても否定できないほど過去作に固執する因習的なエロゲーマーに格下げしてしまいました。
いやあのね。
去年の今くらいに近所にあったソフマップが大衆向け電化製品店に統合されてしまって、店内にはすっかりエロゲのエの字すらなくなってしまったの。
自分の足で情報を集めていた私にとってこれは痛切極まりない変化。
エロゲに関してはネットで情報収集はしない民なもんで、ここ一年の流行りや流れなんかはもうわかりません状態。
これじゃいかんということで錆ついたアンテナの掃除をしていたら、なんとあの新島夕氏がふたつも新作を出すそうじゃないですか!!!!!
しかも10月末発売の方は新島氏単独ライティングですよ。
はつゆきさくら以降の単独ライティングですよ?これはもう買うっきゃないですね。
ということで最近になってエロゲに対する熱が再発したため、この余熱を冷まさぬようにと令和エロゲに着手しはじめた次第。
そして、昔の、エロゲを無垢に楽しんでいた時代を思い出すという意図でも、このブログに感想をしたためようと筆を執った次第でございまする。
中でも、ある個人的な事情があってどうしてもプレイしざるをえなかったこの作品について、今日はだらーっと書いていこうと思います。
2020年3月にCUBEより発売された『神様のような君へ』
極力ネタバレはなしで、簡易的な内容説明と最低限度の客観的評価、および個人的な感想をつらつらと書いていきます。
原画はカントク氏。
メーカーのCUBEはCUFFSという会社内のグループのひとつで、他にはかの有名なヨスガノソラを手掛けたグループがあります。
私は原画もメーカーも初耳でした。
『神様のような君へ』作品概要
――ハッキングを趣味とし、あらゆる大企業やネットワークのプロテクトを破ることに至上の楽しみを覚える高校生、城前塊斗。
昨今の世界を牛耳る無数のAIを保有する『C-AI』に侵入を果たし、彼はとある命令を下す。
『この俺、城前塊斗のことが大好きという女の子に会わせてほしい』
該当結果はゼロ。
強大な世界の情報を有するC-AIに否定され、泣く泣くその夜を過ごした塊斗だったが、その翌日、彼のもとに塊斗が理想に描いたとおりの美少女が訪れる。
彼女の名はツクヨミ。
昨晩の塊斗によるC-AIへの命令で秘密裏に製造された人間そっくりのアンドロイドである。
C-Alそのものともいえる、まさしく今生の”神”にも等しいツクヨミに無条件で好かれた塊斗は、彼女とともに気ままな学園生活を送っていく……
以上があらすじ。
端的に言えば、ある日突然主人公にとって理想の女の子が現れて好かれちゃったやだどーしよー的な話。
自分にとっての理想の女の子に無条件で好かれ、生活を共にしていく…と聞けば、ご都合主義全開の萌え萌え系な内容を想像するかとは思いますが、まあ当たらずとも遠からず、といったところ。
もちろんヒロインとの気ままなイチャラブこそありますが、
あらすじの中にもあったように、この世界はシンギュラリティが起きた世界。
町の風景こそ一見して今とそう大差は見受けられないが、ツクヨミというアンドロイドをはじめとするAIの飛躍的発展に加え、町を走る車さえもAIによる全自動に切り替わっているという技術革新があたりまえのように起きている。
……という設定なんだけど、
↑主人公の通う学園の教室。
未だに黒板使っている辺りシンギュラリティのシの字も見られないが、町並みもこれと似たように前時代的な景色が色濃く残っている。むしろ電子的な発展の見える要素は皆無である。
つまりは、技術的な革新が起きてまだ間もない時代…というところだろう。
舞台は近未来。こう言えば伝わりやすい。
勘の鋭い方はこの言い方でも伝わってくれそうだが、この作品、萌え系全開の絵とご都合全開のあらすじを謳っておきながら、そのAIにまつわるエピソードが予想以上にむごたらしい。
AIが絡んでくると大体凄惨な話になるのはエロゲの鉄則。
だいたい萌えゲーと聞いて昨今の金字塔ともいえるメーカーはゆずソフトに限られてくるだろうが、
そのゆずソフトでさえもこんな胸糞悪いエピソードは盛り込まないだろう…と言えるくらいにはなかなかに心をえぐるシナリオが待っている。
だからこそしっかりと差別化ができているわけだが。
シナリオのボリュームは言うほどに多くなく、特に共通パートはあっけなく終わる。
ちょっと不満を言えば、流れ作業的にヒロインを紹介してある程度紹介出来たらはい分岐、ってのがこの作品のプロローグ部分。多少だれてももう少し尺を伸ばしてもよかったと思う。
その分攻略キャラ(専用ルートおよびHシーンあり)がメインヒロイン3人+サブ3人と多め。
サブ3人の方のストーリーはさすがにメインと比べれば短く、インパクトもやや控えめな印象こそあるが、おまけというほど薄くないしっかりとしたストーリーが仕立てられている。
しかし本作はいわゆるTRUEルートと呼べるものはなく、はじめからどのキャラも攻略可能、どのルートも正規ルートといった感じで、全キャラ攻略後に新ルート解放!物語の核心に迫る!といったものはない。
世界観の説明は共通パート内で済んでしまう上、ルートごとに敵対する相手や方向性はまったく異なるため、ルート間の知識や考察の橋渡しなどはほぼ必要としない。
逆に言えばこの辺りはゆずソフトをはじめとする萌えゲーと同じで、すべてのヒロインを攻略しなくても楽しめる作品となっている。
要するに気に入った子だけ攻略してアンインストールしても後残りはないのだ。
世界観やシナリオに重きを置いている作品だと、各ヒロインにそれぞれストーリー上重要なポジションが指定されているので、必然的にすべてを攻略しなければ十二分に楽しむことはできないのだが、本作はそのあたりの自由度は高めである。
以上のことからまとめると、
本作はシナリオにやや重きを置く傍らで、萌えゲーとしての需要も兼ね備えたエンターテインメント作、という立ち位置に落ち着くと思われる。
エロゲ特有のシナリオの盛り上がりこそないが、自由にヒロインを選択してイチャラブやらやや重たい話やらを楽しめる、というのが本作の特徴であろう。
シナリオ、萌え、どちらかに好みを振り切っている人はまず合わない。シナリオも萌えも同時に楽しみたいという懐の深いユーザー(多分昨今の客層はこういうのが大半)向けの作品である。
シナリオについて 重たい話だが考察の意義は薄い?
前述したように、本作はシナリオに少し注力しただけでおよそ全体の6割強はカントク氏の絵を推すキャラゲー風の作品であるため、詳らかにシナリオを考察する必要性は薄いように思う。
シナリオを非難しているわけではない。むしろ面白いと思ったのが本音。
特にメインヒロイン3人のルートは共通パートの雰囲気からは想像もつかないくらい凄惨で心をえぐるむごたらしい展開になり、しかもそれが唐突にやってくるため、終盤になるにつれて作品へのモチベーションは上がってくるいい仕上がりになっている。
しかし忘れないでおきたいのは、エロゲというのはアニメや漫画、映画などでは決してできないシナリオ構成を可能にする唯一無二の優れたコンテンツであるということ。
それすなわち、並行世界、IFのシナリオをルート分岐というスタイルで組み込み、それらを統合できるという点である。
シナリオがいいと評判のエロゲの大半はこの持ち味を活かしている。
すなわち各ルートに作品のテーマに準拠した何かしらの役割、位置づけを用意し、それらをプレイすることで考察のピースがどんどん埋まっていき……最後のルートでその全貌が見えるというカタルシス効果を期待している。
私はこれこそがエロゲの良さと考えているが、無論このシステムを強要するつもりはないし、すべてのエロゲにこのシステムを期待しているわけではない。
ただ、エロゲで本格的にシナリオを突き詰めようとした場合、このルート分岐システムというのは絶対的に避けて通れない道であるということを主張したい。
さて、本作はといえば、前述したように重たい話を取り上げてもなお、すべてのヒロインを攻略しなくても楽しめる、といった自由度の高さをひとつの持ち味にしているが、
逆に言えばそれは、ルート同士の総括的なつながりをほとんど抹消することに等しい。
どのルートを選び、どのルートを破棄してもいいように、ひとつひとつのルートだけで『神様のような君へ』のシナリオは完成されている、と言い換えてもいい。
『神様のような君へ』は短編集のタイトルではなく短編それぞれのタイトルであり、ルートひとつひとつがそれを表しているのであって、すべてのルートを総括した総体的なシナリオを表しているのではない。
つまりこの作品のシナリオを突き詰めようとするならば、もちろん場合によっては全体を俯瞰する必要もあるが、基本的には独立したひとつのルートを見るだけでも十分な考察や感受が期待できてしまう。
”詳らかに”シナリオを考察する意義は薄い、と言ったのはそういう理由。
シナリオが薄っぺらいから意義がないと言っているのではなく、各ルートのシナリオがそれぞれ独立しているため、自分的に気に入ったシナリオに着目すればそれで十分な構造になっているゆえに、作品全体を深々と考察する意義は薄いということだ。
もうひとつ、本作が詳らかにシナリオを考察する意義が薄い理由として、本作の主人公には強い目的意識がないことがあげられる。
※ちょっとネタバレ入ります。
形式ばった考え方は好きではないが、こと物語論における典型例(暗黙の了解ともいえるべき要素)として、”主人公には何かしらの欠落があり、物語というのはそれを埋めていくまでの流れである”という考え方がある。
ショートショートストーリーなんかはこんなのに当てはまらないが、主人公が人間的な意志を持った生き物で、人と触れ合うことを描く物語の基本形には、まず主人公の欠落がなくてはならないのだという。
別にこの理論に当てはめろというわけではないが、しかしながら主人公の欠落がその後の展開を生み、結果的にそれが作品のテーマに近づいていくことは事実だ。
主人公に探し求めるなにかがなく、他の子がその役を担ってしまうのならば、その主人公は主人公である意義が極度に薄くなる。欠落している”何か”を追っているか、あるいは常に事件の中心にいるような人物だからこそ主人公というのは成立するのだ。
さて本作の主人公はと言えば、あらすじ上で自分を好きになってくれる女の子が欲しいと欲望をぶちまけているが、それはプロローグの冒頭で叶えられてしまう。
というか物語開始直後に欲望をぶちまけてしまうので、これが本作の主人公の欠落だとしても”それが叶えられていない期間”があまりにも短い。
加えて、欲望をぶちまけてからツクヨミという理想の女の子が登場するまでは数十クリックで済むほどあっという間である。
つまり、物語開始直後に主人公の欠落はほとんど埋まっているように見えてしまうのだ。
この後、主人公はツクヨミとすぐに恋愛関係にはならないものの、彼はそれ以上の要求や目的意識を表に出すことはない。
淡々と、主人公を取り巻く日常を眺めるだけとなる。
初見からすると、この物語はどこに向かっているのかの明確なゴールが見えないために、シナリオとしての価値を見出しにくいもどかしい時間が続くのだ。
しかし。
先に結論を言えば、一応この主人公にも、欠落らしきもの、目標らしきものはある。
ただそれはストーリー内で顕著になる場面がほぼなく、そしてそれが垣間見えるのが終盤の終盤なのでとてもわかりにくいが、彼なりに欠落を埋める旅を続けていたのだと言える。
一度話を戻すと、
シナリオを深々と考察する意義が薄いというのはつまり、この物語の顔である主人公が、物語という旅を続けるがための目的意識が顕著に見えてこないがために、主人公の進む方向性=シナリオの方向性が見えづらいから、というのがひとつの理由である。
ややネタバレになってしまうが、簡単に本作の主人公の目的意識というのを、私が推察した限りで説明する。
共通パートを終え、主人公が誰かに恋をし、選んだ各ヒロインのルートに進んだ後、
どのルートでもなかなかに凄惨で重々しい現実が降りかかってくる。
その被害者はおしなべてヒロインの方であり、主人公はそのヒロインを取り巻くむごたらしい現実の悪に立ち向かい、悲惨な現実に敗北しかけているヒロインを救い出そうと奮起する。
実はこの展開は、どのルートでも不変なのである。
ヒロインに災いが降りかかり、それでヒロインが負けそうになり、主人公は彼女を救うために奮起する……
この展開がルートによらず不変であるからこそ、主人公の目的意識というのがここで初めてわかるのだ。
そもそも主人公は最初に自分を好いてくれる理想の女の子を追い求めていたが、その理由や経緯は最後まで語られることがないため、その欲望ただの妄想の1ページと片してしまいがちだが、
この欲望に加えてヒロインと恋愛した後の主人公の様子を見てみると、おそらく彼は単に恋愛がしたかっただけなんだろうと推察できる。
もっと突き詰めて言えば本作のタイトルをも借りることができ、”神様”のような存在が隣にいてほしかっただけなのだと解釈できよう。
しかしこの気持ちからシナリオが生まれているのではなく、シナリオの中で主人公にこの気持ちが生まれているように見えるため、結果として主人公の目的意識というものに着目しづらくなっているのだろう。
また、前述したようにどのルートを選んでも同じような展開に陥り、主人公は同じ目的意識に達し、またどのルートも最終的にはなんだかんだで丸く収まるハッピーエンドになってしまうので、
結局どのルートでも主人公の目的は叶えられて終わる、ということになる。
それはつまり、ルートごとの差別化が図れないことを意味する。
多岐にわたるルートのすべてで主役を出ずっぱる主人公に、ルートごとに何かしらの差異や変化こそあれば、ルート間における考察の意義は高まるが、
結局どのルートでも同じ展開に陥り、同じ目的意識を掲げ、すべてハッピーエンドで終わるのであれば、作品全体の考察は意味をなさない。
ではまとめ。
本作のシナリオは度肝を抜くレベルでいきなり重々しい話が出てくるため、とても面白いのだが、作品全体を考察する意義は薄めと言える。
理由として以下があげられる。
・ひとつのヒロインルートで物語が完成しているため、全体を見る必要がない。
・主人公の目的意識が薄いため、シナリオの方向性を見定めることが難しい。
・どのルートでも主人公とヒロインは同じ展開に陥り、最終的にはすべて乗り越える、というところまで酷似しているため、ルートごとの差別化を図ることができない。
…なんだかこうまとめると、まるで本作のシナリオを過小評価しているように見えるが、何度も言うようにそんなことはない。
そもそもこの作品はややシナリオに重きを置いただけのキャラゲー重視のエンターテインメント作であり、徹底してシナリオを突き詰める意義は薄いというその根拠を並べ連ねただけである。
ただ、萌え重視、シナリオ重視を求める人には勧めないよ、ということね。
個人的な感想・総評
本作品がシナリオ重視でないことがわかっていただけたら、もう私の言うことはない。
しかし私の推察に納得がいかず、これはシナリオ重視のシナリオゲーだと檄を飛ばしたい人もいるだろう。
感じ方は人それぞれだ。
物語というのはそこにあるだけでは何の意味もなさず、また何の情報すら持っていない。
読み手が手に取り、世界に触れた瞬間にはじめてそれは意味を持つ。
ある種、コペンハーゲン解釈による波動関数の収束みたいなものだ。
別に誰がどの物語を好きに言おうが私にとっては対岸の火事もいいところではあるが、もしこれをシナリオゲーにクラスチェンジしようとした場合の、私の意見を書いて終わることにしよう。
ともったいぶってしまったが、意見はひとつしかない。
それは、本作をはじめて手に取り、はじめてひとつのルートを読み終えたときの私の感想そのままとなる。
『シナリオと絵と音楽の雰囲気がずれている気がする』
エロゲと小説の一番の違いは、物語に奥行きを持たせる絵や音の芸術があるかであり、
またエロゲとアニメの一番の違いは、物語に奥行きを持たせる文章という芸術があるかである。
あらゆる芸術のいいとこどりをしたエロゲ(というかノベルゲーム)は唯一無二のコンテンツであり、またそれゆえにもっとも難しい物語コンテンツだと考えている。
考えなくてもわかる通り、とある作品を描きたいと思ったら、絵と文章と音楽とOP動画と等々あらゆる芸術の雰囲気を細大漏らさず統一しなくてはならないのだから。
逆にそれをおざなりにするようでは、それはエロゲでやる意味がないと一蹴できる。
文章をおざなりにするならアニメでやればいいし、音楽を適当に済ませるなら漫画にでもすればいい。
物語を魅せるすべての芸術を統合すること。
これはエロゲに課せられた暗黙の了解でもあり、実はもっとも難しい永遠のテーマともいえる。
私とて完璧にそれができるだけの手腕をもっているわけではない。
文章のほか、絵を描いたりピアノを練習したりと、自分なりに努力こそしているが…
とにかく私が言いたいことは、
本作はダークで重々しいシナリオを用意し、それが中盤以降の最たる盛り上がりパートとなったものの、いかんせんそのシナリオと絵がマッチしていない印象を受けてしまった。
カントク氏という絵師は今回が初見だが、なんともまあかわいらしい女の子を描くこと描くこと…
一昔前のギャルゲーにあったような無駄に目がでかかったり不自然な乳袋ができていたりといったものではなく、現代的な萌えを追求したとても平和的な画風だ。
きゃぴきゃぴしすぎず、エロにも特化しない自然体な女の子を描きつつも、全体的に丸みを帯びた優しいタッチで仕上げており、
また髪や制服に主張の強い色やデザインを施していないため、キャラクターが自然と背景になじんでおり、二次元の中で現実的な女の子像を求めた最大公約数的なイラスト…という印象を受ける。
まあ当たり前な話、イラストのタッチが後半になっていきなり変わる、なんてことはないので、シナリオがどうなろうが絵は終始同じ雰囲気をまとい続ける。
……さて、これを例えば、
①『血なまぐさいドロッドロの人間ドラマに富んだシナリオのエロゲ』
②『夜や闇が主な舞台となる、ややダークながらも闊達なシナリオのエロゲ』
③『壮大な闇や野望が背景に潜む世界で可愛い女の子と過ごすエロゲ』
④『思春期の少年少女が紡ぐ喜怒哀楽が渦巻く正統派青春ものエロゲ』
⑤『学園モノでただ女の子とイチャコラするエロゲ』
⑥『オカズを目的としたエロベースのエロゲ』
などなど…
あらゆるジャンルを列挙していくとして、さて上記のカントク氏の絵柄というのはどのジャンルのエロゲに合うだろう?と考える。
まず①②⑥はないと思う。とくに①と⑥は作風に合っていないと言えば直感的に理解できるだろう。
②に関しては”夜や闇が主な舞台”と言ったのが肝で、このカントク氏の明るい色の塗り方はどんなに萌えを重視しても夜や闇のような暗がりの舞台にはふさわしくない。
じゃあ③④⑤はどうだろうと考える。
④がいいかもと考えるが、”青春もの”を突き詰めるともう少し感動的で情動的なタッチが望まれることが多い。
MOREというメーカーの絵や、銀色遥かなどいい例か。
丸みを帯びて萌えを狙わず、より現実的なタッチで”萌え”ではなく”可愛い”や”美しい”を狙った作品が好まれそうだ。そのタッチで描かれた青春ものはやはり感動的に光る。
そこまでいかずとも、キミスイの実写映画や星織ユメミライのように、普遍的なイラストでも十分伝わるだろう。
それらはすべて、萌えに媚びてはならないという点で共通している。
残された③と⑤だが、
⑤はとにかく一定のリズムで女の子とのイチャイチャが続くジャンルで、ましろ色シンフォニーやクロシェットというメーカーがあたる。
このジャンルはイチャイチャを主軸とするため、それを盛り上げる萌えやエロはむしろ歓迎される対象となる。もちろん、普遍的なイラストでも可能ではあるが、それでは特化した要素がないために絵に特徴が欲しいところだ。
件のカントク氏の絵だが、どちらかと言えばそういうジャンルに向いている気がしてならない。
イチャイチャが続き、まあひとつやふたつちょっと重たい要素なんかはあってもいいが間違っても血が出たり人が死んだりするような展開はなく、最後はハッピーエンド、大団円で終わるエロゲ……
そういうのに向いているんじゃないだろうか。
『神様のような君へ』は、確かに最後はハッピーエンドで終わるし、萌え寄りの作品ではあるが、いかんせん取り上げている世界観はAIにシンギュラリティととにかく高度で、かつ道中のストーリー展開はえげつないレベルで重々しい。
そういう意味で、⑤寄りと言いたいが③寄りともいえる。
では③の例を見てみよう。
同じAI,シンギュラリティを題材にした『景の海のアぺイリア』という良い例がある。
こちらは”重い”のベクトルが違うが、高難度で複雑な世界観を売りとしている作品である。
絵は影の濃淡がはっきりしていて、また丸っこくないしっかりとした線画で描かれている。
話を重くしても複雑な世界観に投入しても違和感はないだろう。イチャラブ主体の話でもやや場違い感こそあるが妥協できるレベル。しかしエロ主体や超血なまぐさいシナリオには雰囲気が向かない。という印象を受けるだろう。
女の子とのイチャラブ以外に、世界観の壮大さや重々しいシナリオを売りに出していくなら、そのすべてに適用可能である公約数的な絵が必要とされる。
日常パートでは『あら可愛い』だったものが、戦闘シーンに入って血だらけ痣だらけとなって『なんと凄惨な…』と違和感なく変遷できる絵でなければ、作品の雰囲気をフルに味わうことは到底できない。
これは非常に難解なテーマで、言葉で表すにも限界がありそうな話になるが、実際にこれに成功しているエロゲは多々ある。
これに成功しているエロゲこそがその物語の良さを大いに味わえるエロゲであり、逆説的に、そういうエロゲこそ人気がでるのではなかろうか。
私の主観の域を越えないが、『神様のような君へ』の絵柄はどだいシナリオとあまりマッチしていない印象を受けた。
同時に、音楽の使い方も少し雑なように見受けられた(こちらは語れないが)、という話。
話を戻せば、これをもしシナリオゲーとして見たいなら、シナリオゲーたるだけの違和感のない絵や音楽にする必要がある、ということだ。
もっとも、本作はシナリオゲーで売っているわけではなさそうだから別にいいんだけど、それでも本編の重々しいシナリオと絵柄はやはりマッチングしていないように見える。
萌えとシナリオとエロを両立させようとしてコケたminoriというメーカーを思い出した。罪ノ光ランデヴーは面白かったんだけどなぁ…
『神様のような君へ』総評
個人的満足度 ★★★(3.5)
オススメ度 ★★★(3.2)
了。
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