白黒部屋のねこたまご

気ままに花咲く思索の庭園。物語や理系関連に対し益体もないことを呟くブログ。

今更ながらアニメ『Rewrite』を振り返る

Last Desire
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんで今更?というのは、単にふと思い出したからです。
私がかつてプレイしたのはPSPの移植の方だったので、「コタさんの奔走を今度は大画面で見たい!」と思いすぐさまPC版のRewriteを購入してきました(初期のやつ)。
 
いやー、フルボイスじゃない上に井上の立ち絵がないという難点があるにしても、相変わらずRewriteは面白い!
もうドハマりしちゃいました。
 
 
ただ、その傍らで良くない記憶がよみがえる。
今すぐスーパー篝ちゃんタンク砲でなかったことにしたいくらいの記憶が、いやがおうにもよみがえる。
 
…てなわけで、新年早々もやもやしちゃったので、その憂さ晴らしをここでしようかなとキーボードを取った次第。
 
 
 
少し前に2クールで放映されたアニメ「Rewrite」。
ただでさえKeyの中で異作なこの作品が、せっかくのアニメ化というチャンスを棒に振ってしまった理由、その失敗点を、今日は考察していきます。
 
 
 
 
 
*原作、アニメ本編の重度なネタバレを含みます。
 
*アニメ版「Rewrite」に対する批判てんこもりなので、アニメ良かった!とお思いになっている方は閲覧されないことをおすすめします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長くなるので目次をば。
 
・はじめに
・完成度はどうか
・原作を否定した改変
 …作品の雰囲気
 …アニオリ展開
 …天王寺瑚太朗のキャラクター性
 …エンディング
・まとめ
 
こんな順序で話していきます。
 
 
Rewrite 初回限定版
 
 
 
 
・はじめに
 
 諸注意みたいなものだが、当然ながらアニメより前に原作としてのPCゲームが発売されている以上、「Rewrite」という作品の大本はそちらにあるので、逐一原作と比較した指摘をしていくことを注意されたし。
アニメはアニメだろ、という考えは私にも少なからずありますが、それはノベルゲームではできない演出をアニメがした場合に限った話であって、設定や話の筋、「Rewrite」を構成する根本的な要素を改変することを、アニメはアニメだと言って開き直ることはできません。これは二次創作じゃなく、あくまで”アニメ化”なのだから。
これらを前提に記事を書いていくので、受け入れられない人はブラウザバック推薦。
 
 
 
 
・完成度はどうか
 
 アニオリを採用してなんとか原作では5つもあった個別ルートをひとつにまとめて終えた1クール目、そしてMOON&TERRAに集中した2クール目と、あの超長編だった原作をわずか24話に詰め込んだのは、賞賛の意を込めて「よくやった!」と言うべきか。
 
無論、そんなことあるはずもない。一言いうなら「愚行」。
 
まず、舞台もヒロインも異なる5つの個別ルートを6,7話足らずでひとつにまとめるのはあまりにも無理がある。
1話目から魔物を登場させるのは雰囲気作りとして最悪な手法だし、後半はミドウたちを導入してなんとかそれっぽく見せたが、それらのせいであらゆる点において設定の改変が起こり、展開の説得力が全体的に欠如してしまう結果となってしまった。
 
動きのあるアニメでしかできない演出と言えば、バトルシーンに迫力を持たせられるということがまずひとつ挙げられる。それを重視してか後半はバトルシーンがやけに多かったが、いかんせん作画や演出に凝った様子はなく、ただ戦ってるなーと思うだけの絵になってしまうことがほとんど。
「あ、Rewriteはバトルものなんだな」と解釈してしまった人が多いんじゃないだろうか。
間違ってはないが、それが主な作品ではない。
 
また、これらは後に詳しく述べるが、最大の失敗は篝をメインに持たせたこと。
このおかげでMOON世界になぜ瑚太朗がいるかを説明できなくなってしまった。
 
さらにTERRA編では見栄えを良くしようとしたのか、原作と瑚太朗の性格がまるっきり変わってしまったり、地球規模の「良い記憶」とは何なのかに説得力を持たせる展開を放映しなかったりで、結局”ただコタさんがカッコイイだけ”というアニメになってしまった。
 
 
 
つまり、「Rewrite」としての完成度は最低。
 
反対に、「主人公がカッコイイアニメ」としての完成度は良い方。
というか、始めからそれだけを狙って製作したのではないかと思えてくる。本編の雰囲気は原作で味わってね!アニメは宣伝にすぎないよ!みたいな。……いや、それってどうなの?
 
 
 
 
以下に書き連ねていく批判点は、だいたい上記にまとめた感じになる。
ここからはそれらを1個ずつ紐解いていきます。
 
 
 
 
 
・原作を否定した改変
 
  上記でもちょこっと話したが、私が何よりアニメ版に不満を覚えているのは、アニメの展開が原作の持つ雰囲気を否定したからである。
 
原作の雰囲気とは何か。
 
同じKEY作品で言えばCLANNADとかがいい例なので、話すことにしよう(リトバスは未視聴)。
 
CLANNAD メモリアルエディション 全年齢対象版

 

 
アニメ版のCLANNADは原作ではAfterStoryこそ丁寧に描かれたが、その前の10以上も存在した個別ルートをほとんど割愛したあげく、主人公とヒロインとの間に渚を無理やり介入させたことで必然的にアニメオリジナル展開にならざるを得なかった。
 
だけどどうだろう。アニメのCLANNADは、雰囲気づくりに失敗していただろうか。
 
もし失敗していたらここまで知名度の高い作品にはならなかっただろう。
朋也がひとりの不良から女の子を愛するひとりの青年へ、そしてひとりの父親になるまでの過程。その間の様々な人との出会いや別れ、親友との喧嘩や親との和解など、人間らしい情緒あふれる展開が丁寧に描かれていた。
 
しかしこういった原作にもあるシーンをただ淡々と垂れ流すだけでは”作品の雰囲気”というのは作れない。
 
雰囲気というのは、ストーリーの流れ、絵やBGM等の演出効果が合わさって生まれるものなのだ。
 
都合がいいからという理由で適当に話を改変し、それっぽい絵のタッチやBGMを加えただけでは当然ながら原作とはまた違った雰囲気が生まれてしまう。
CLANNADは作画自体も本家いたる絵に寄せるほどに原作に忠実で、また例えオリジナル展開を用意しても全体的な話の本筋から反れることなく、アニメ独自の不思議さを醸し出しながらも原作同様の雰囲気を作り出すことに成功していただろう。
 
アニオリ展開を用意して、たとえ話が原作と少し反れたって、目指すゴールと目指す雰囲気づくりさえ合致していれば、”アニメ化”は成功するのだ。
 
 
 
Rewriteにそんな要素はあっただろうか?
 
話を24話にまとめきるのに努力値を振り切った分、肝心の雰囲気づくりが等閑視されてしまったように私は見える。
 
 
細かく挙げると枚挙にいとまがないので、もっとも酷かったと思えるひとつを書きます。
 
アニメ第一話。一時間という大盤振る舞いをしてズッコケた最悪な回だった。
コタさんが朱音と遭遇しオカ研に入るまでの話であったが、実は原作でもそこに至るまでには結構長かったりする。朱音と出逢うのはさておいても、そのオカ研に最後のルチアが加入するのは共通ルートの半ばに差し掛かった頃だ。
 
それは、コタさんのいる世界観、ならびにヨッシーノたちフレンズとたわむれる面白おかしい、だけどどこか物足りない日々が描かれる尺を必要としたからだ。
決して、魔物や超人のいる生き馬の目を抜くような世界を説明する尺ではない。
 
はじめに何も知らないコタさんが、実は秘密組織関係だったヒロインたちとわちゃわちゃやりながら日々を過ごし、徐々に世界がおかしなものであることをオカ研を通して知っていく……という流れで共通ルートが進んでいくのが原作だった。
 
超常現象的なことはほんとに少しずつしか出てこない。篝なんて分岐の直前まで顔グラすら出てこない。
 
実はオカ研メンバーが揃う前から無限に続く路地や回廊(圧縮空間)にたびたび巻き込まれてはいるが、それが何なのかほとんど説明されないまま事は去り、コタさんもほとんど気にしないので、プレイヤーは「なんだこの世界観は?ちょっと危ない秘密があるのかな?」程度にしか思わない。
しかし忘れた頃にまた唐突に現れたり、バカでかい黒犬のCGがいきなり出てきたり、コタさんが実は超能力持ちなのを知っていくことで、この世界はどこかおかしいことに徐々に気づいていくのだ
 
この”徐々に気づいていく”というのが共通ルートでの雰囲気であり、「これからオカ研どうなるの?」といったドキドキ感が原作の持ち味だった。
 
 
それをアニメは一話目から見事にぶっ潰したわけですね。
 
 
いきなりクリボイログといったボス級の魔物が出てきたせいで、この後出てくる黒犬の不気味さが全然感じられなくなったし、
一話目からこんなやばいのがいる世界なんだってわかっちゃうと、この後の日常風景が蛇足にしか見えなくなる。
コタさんが実は超人であることもこの怒涛の展開の中では見事に霞んでしまい、
また、篝を主役に持っていこうとして一話目から大抜擢したせいで『鍵』という存在の不思議感も一切なくなってしまった。
 
もうこの時点で私にとっては失敗なわけです。
 
これではただ「意味わからない世界」を表現しただけで、原作にあった「壮大な秘密のある世界」を一切表現できていない。
 
原作ゲームソフトのパッケージに書かれたストーリー紹介、ガン無視なんだよね。
気の合う仲間と過ごす楽しい時間、平穏な日常
だが彼らはまだ知らない
それが思いもよらない
真実へとつながっていることに…
一話目から真実入っちゃったもんね。
 
 
魔物や超人、鍵の”不思議さ”が欠如すれば、それはもうただの厨二全開のバトルものにしか成り得ないんだよ。でもコタさんはそういうストーリーの主人公になれるほどの勇者の器を持った人じゃないでしょう?
 
 
TERRA編は少しはマシになったかと思ったらまあそんなこともなく。これは後に詳しく語ります。
 
 
 

 

End of the World

End of the World

 
(OPの出来には感動しました。あれはまさにアニメにしかできない演出だと思います) 
 
 
 
 
 
この流れでアニオリ展開の話にいきましょう。
 
原作では(ルチアルートを除いて)井上捜索の日に葉竜という魔物が姿を表したことをきっかけに、オカ研内できっぱりと亀裂が入ってしまう。
そこからドルイドの小鳥をはじめ狩猟者と魔物使いは本業の生活に戻ってしまい、コタさんはまたひとりぼっちになってしまう。個別ルートではそのヒロインのいずれかにつくことでガイア、ガーディアンといった組織の実態を徐々に知り、鍵の起こす再進化を止める動きに出ていくのだ。
 
つまり、当たり前な話だがヒロインは5人であって篝じゃない。
 
アニメはその間でも取ろうとして篝を選んだのだろう。一見妥当な選択に思えるが、私からしたらその時点でもう失敗している。
この枝世界でコタさんが「篝を守る!」と言った時点でMOON世界の説明ができなくなってしまったのだ。
 
そもそもMOON世界というのは、無数の枝世界がアウロラの次元レベルの光によって投影されてできた「可能性を集約した世界」である。
つまり、無数の枝世界において、もっとも頻度の高い事象がこのMOON世界に事象として現れるのだ。
町が崩壊しているのもその理由。どの世界でも滅びを回避できませんでしたから。
その中でコタさんがいるのは、もともとは篝に仇を成す存在だったから。リライト能力は実際ほとんど無関係である。
どの個別ルートでも篝と瑚太朗の仲は険悪だったし、というかまともにしゃべったこともない。あったとしても「一発殴っておけばよかった」って言ってるくらい篝のことを敵対視している(ちはやルート)。
それ以前にコタさんは7年近い空白の前にガーディアンのひとりとして、鍵である篝を捕まえようとした過去がある。これはどの世界でも回避できなかった事象で、それゆえにMOON世界で瑚太朗は篝の敵対者としての事象として発現されているのだ。
 
この設定がアニメのどこで見受けられる?むしろ反例しかないじゃないか。
 
このMOON世界ではじめてコタさんが「篝を守りたい」と思うことで、MOON世界での”一個人としての瑚太朗”が生まれ、残機1状態での防衛線が盛り上がるわけだ。
前座がたった1クールしかない中でその感動を表現するのはあまりにも難しいことだけど、だからって設定ひっくり返しちゃあかんでしょ。
 
 
 
 
細かいことは置いといてもうひとつだけ突っ込んでおくと、瑚太朗の修業が子供レベルすぎ。
小鳥ガーデンの側でオーロラ剣出しながら素振りしているシーンがありましたよね。
原作でまともに戦闘修行している場面なんてTERRAを除けばちはやルートでしか見られないけど、そこでもあんな子供じみた修業はしない。
 
咲夜が「楽しいから」と言ってトランプのスピードをやったり、ウンパッパ佐藤さんとザンブラコ鈴木さんを呼んでバンブーダンスをやったり、そんなもんだった。
瑚太朗が「真剣な修行がしたい」と言っても、咲夜は常にそれを拒否。
理由は「命をかけることに慣れるべきではない」からだ。
加えてリライト能力による強化も原則禁止、またオーロラの発動も基本禁止を徹底していた。
 
それだけの制約をかした中で、瑚太朗は修行させられていたのだ。
アニメ映えしなさそうな特訓ばかりなので迷いどころではあるが、少なくともむやみやたらにオーロラ出して下手に素振りするよりかは全然理知的で理にかなった修行法であると思う。
下手な超能力バトルものになっちゃったのはそのせいでもあるよね。
 
 
 
 
1クール目のラストについて最後に触れるが、あれはシナリオ構成上上手くできている……と言いたいがやはり「待った」をかけたい。
 
崩壊が起こる→コタさん頑張る→篝の0281触る→崩壊止めたいなら私を刺殺して→いや無理だごめん→崩壊END……となったのがアニオリの締め。
 
これ、TERRA編の終わりと非常に似通っており、後に放送するだろうTERRA編を考えた上でわざと寄せた展開を作ったのだと見受けられる。
確かに下手に個別ルート5人のうちの誰かの終わり方をするよりは、ずっと後々の展開に繋がる終わり方だったようにも思えるが…
 
…あれ、もし刺殺していたら地球は救われたの?って思ってしまわないか?
 
答えはノー。救われない。ちはや編同様に、滅びが先延ばしになるだけであろう。
ただ、あの終わり方だと、下手に篝と多く絡んでしまったせいでもし刺殺していればTERRA編みたく救われてもおかしくないとも思えてしまう。
そしたら、なぜMOON世界で篝ちゃんが悩んでいるのかもわからなくなってしまう。
 
うーん、ここは難しいところではあるが、アニオリの中では一番マシな部分なんじゃないかなと思える。
 
 
 
 
 

 

Rewriteパーフェクトビジュアルブック

Rewriteパーフェクトビジュアルブック

 

 

Rewriteのすべてがここにっ!)

 
 
 
 
 
 
今日は随分書くなぁ。ちなみにここまでで6000字ほど。
別に最近アニメを見直したとか、そんなことはしてない。記憶にあるものを掘り起こしてだらだら書いてるだけ。
…ムカつくことほどよく覚えているものなんですよ、ぷんぷん。
 
 
次に天王寺瑚太朗のキャラクター性に入ろうか。
これは主にTERRA編での話になる。
 
原作をやった人に問いたいが、共通→個別→MOON&TERRAと見てきて、瑚太朗は強い人間だと思っただろうか?
 
ここで”強い”と言ったのは、現実を受け入れる力の事。二分化した組織の対立を仕方なしとして、己の運命を仕方なしとして、人を殺すことを仕方なしとして、生きていく力があったか、ということだ。
瑚太朗にそんな気概はあっただろうか?
 
ない。あるはずない。そんな冷酷無情の強戦士風な性格、TERRAでも見せたことがない。
 
個別ではオカ研の復活ばかりを望んで、TERRAではただ篝に振り向いてもらいたいがために終始泣きながら戦い続けていた。
 
弱い人間なんだよ。本場の戦場を体験しても、人を殺すことにはいつまでたっても慣れてなかった。肝心な時に冷酷になれずにいた。
 
だから最後の最後に泣き叫んだんだろう。
「何人、こうやって殺してきたと…!」
って言いながら。篝を刺して。
 
 
 
アニメで同じセリフ言ってたっけ?言ってたとしたら説得力は皆無だ。
アニメのコタさんはまるで性格が違う。先ほども言った「主人公がカッコイイだけのアニメ」みたいに、目的のためなら手段も選ばない冷酷ハンターになりかけている。
 
それが見える一番のシーンは恩師、江坂との決戦のときだ。
 
原作で初プレイしたとき、当時はまだ世界観も何もかもわからぬままTERRAに入ったが、あのシーンだけは強烈に心に刻まれた。それだけに、アニメのあの流れ作業的な回収は理解できない。
 
 
一言で言おう。アニメの瑚太朗は恩師を殺しても泣かないどころかびっくりするくらい冷静だった。
 
原作のあのシーンでは満身創痍のまま江坂との戦いに入り、お互い拮抗の勝負を見せるが惜しくも敗れかけてしまい、最後の最後で諦めかけたときに血の罠が発動!って感じで形成逆転するわけだ。
まあそこはいい。問題はその後。
 
もう一度言う。瑚太朗は戦う前から満身創痍だった。
実力はほぼ拮抗で、一時は負けかけた=殺されかけた。
そして、戦地に赴く前、瑚太朗は江坂のことを「一番戦いたくない相手」と言っていた。
 
これだけの過酷な条件下で、どうして憔悴していく江坂を冷静な目で見ていられる?
瑚太朗、疲れた様子も全然なく立ち膝で江坂に別れを告げてたけど、なんでそこまで余裕ある?
 
ここが私の中で二番目に不評だった点。ひどすぎる。
 
 
死にゆく江坂との別れ際で、最後に瑚太朗が発するセリフ、わざわざ見なくても覚えている(一字一句正確にとはいかないが)。
 
 
「あなたからもらったたくさんのこと……俺、忘れません」
 
「ありがとうございました…!!」
 
 
原作での瑚太朗のボイスを聞いてみてほしい(遠回しな催促)。
もうこれ以上ないってくらい泣きじゃくって、疲れ果てた声でこのセリフを言ってるから。
 
アニメでもほぼ同じセリフで別れを告げてましたが、もう全然言い方が違う。
そもそも余裕綽々で立ち膝ついてるくらいだから、そりゃ余裕な調子で言いますよね。
状況的には正しいよ。だけどおかしいよね。そうやって余裕になるだけの強さが瑚太朗にはあったっけ?と言いたい。
 
 
これが大きな要因として、アニメ版での瑚太朗はただのカッコイイキャラになってしまったわけだ。
 
他にも大西(瑚太朗の同期で『目』を持っていた奴)を殺すときも冷酷極まりなかったし。もうアニメのコタさんは別物なんですね。
よくそんな性格で篝に良い記憶を見せられたなと。ほとほと感心しますよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
良い記憶と言えば、最後の話になるがエンディングについてだ。
 
アニメ最終話ですね。上手くまとめた風にしているのが余計に腹が立った終わり方だったなぁ。
 
本題に入る前に、この「Rewrite」の作品が一番に言いたかったこと、すなわち作品のメッセージ性はどこにあるとお思いだろうか?
 
これは個々人によって解釈の分かれる部分でもある。私も色々な意見を聞いていきたいところだが、私は普遍的な解釈で、篝の言う「良い記憶」にそれは集約されているのだと思う。
というか、きっと多くの人が同意見なんじゃないだろうか。
しかし、原作の作中ではその「良い記憶」が具体的に何なのかは一切語られないまま終わる
地球環境問題に関心のない篝の姿からや、ED「CANOE」の歌詞の中でそれらしいものを見て、もしかしたらこうなんじゃないか?と読者に投げかけた形で物語は幕を閉じる。
 
これはひとつの物語論として立派な演出で、重要なものほどあえて言葉にせず読者に投げかけ感動を誘うというものなのだ。
私はそういうRewriteの終わり方がとっても好きだった。
終わった後に自分の中で色々考えて、もしかしたら良い記憶とはこういうことだったんじゃないかと氷解したときに、はじめてTERRAでの瑚太朗の奔走が感動的に光るのだ。
 
それがRewriteっていうエモーショナルな物語だったでしょうよ。
 
 
なんで答え言っちゃうの、アニメ版篝ちゃんよ。
 
 
作品の中で答えを言っちゃったら、あえて言葉を濁した原作の雰囲気がおじゃんになるじゃんか。
それに、答えを言っちゃうことでそれ以外の解釈を公式に否定してしまうことにもなるじゃんか。なにしてんの。
 
なんだっけ、アニメで言った篝ちゃんの答え。
「我が星を食いつぶしてでも生きたいと願う意志…」とかそんな感じだったよね。うん。CANOEの歌詞まんまだよ。というか、私が解釈していた通りだったよ。でも全然嬉しくないよ。
はぁ…ここでまたRewriteの良さをつぶしたなこのアニメ、と当時は思ったものだ。
 
 
 
それだけじゃない。一番文句を言いたいのはこっから。
百歩…いや一兆歩譲ってあえて「良い記憶」を言葉にするのを良しとしよう。
 
だとしたら、瑚太朗がその「良い記憶」に適した行動をとっているシーンをもっと描くべきだったんじゃないか?
 
一番に瑚太朗が滅びゆく世界の中で「生きたい」と叫んだシーンはどこだ。
 
私は、地下都市に連れていかれた朱音を助けるシーンだと思ってる。
 
というか、多分私の中で一位二位を争うくらいに好きなシーンだった。
 
TERRA編の終盤。滅びの詩で自らも朽ち果てようとしたガイアの残党たちは、地下のシェルターのような役割を果たしていた都市に幼子の朱音を連れて逃げていった。
「この子は我々の希望なんだ!」
「聖女なのよ!」
とか言って。勝手だよね。
その空間はもはや地上で生きることを放棄して、楽に死にたいと願っているゾンビのような人間たちが逃げ込む場所だったのだ。
対する朱音はまだ生きたいという願いがあった。しかし聖女故の成長の遅さで言葉でそれを言えず、無理やり連れ込まれてしまったのだ。
瑚太朗はそれを知って、「そんな時間はないんだよ!」と泣き叫びながらも朱音を救出しにいくんだ。
ここのアニメのシーンは良かった。原作では見れない化け物と化した瑚太朗の姿が見れて、より一層の緊迫感があった。
そして瑚太朗は飛び降りる。
 
「うおおおおおおおおおおお!」
 
 
 
朱音、救出!
 
 
(゜_゜)??
(゜Δ゜)???
 
あれ…救出シーンは???
 
 
見事なカットだった。
リアルに開いた口が塞がらなかった。
叫んだその次のシーンでは、朱音ピンピン。
 
 
…皮肉はこの辺にしておいて、本題に戻ろう。
原作での朱音救出シーンでは、瑚太朗はゾンビたちに阻止されながらも泣き叫ぶ勢いで生きることを願う。
朱音は声にならない慟哭を挙げ、瑚太朗自身もまるでおかしくなったかのように狂いまくって出口へ向かう。
生きたいんだ。
崩壊した世界でも、わずかな希望しかないとしても、
可能性が残された地上で生きたいんだ。
 
 
 
 
 
「行かせてくれ……俺は……俺たちは…」
 
「まだ生きることを諦めちゃいないんだ!!!」
 
 
 
 
 
 
このシーンがあるだけでも、「良い記憶」の説得力は生まれると思うのです。
 
だって、コタさんがここまで生きたいと泣き叫んだのは、多分ここだけだから。
 
だからこそ、朱音救出シーン全カットは、私としては受け入れられなかった。
そんなお話。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・まとめ
 本当は上記以外にも細かな気になった点をいくつか列挙したかったんだけど、もうこの辺で。
まとめは簡単。
アニメ版のRewriteは、原作で描かれてきた「壮大な世界観とその雰囲気。寂寥感溢れる終わり方と、天王寺瑚太朗という弱い人間の叫び」が著しく欠如し、ただ「瑚太朗がかっこよく暴れ回るだけの作品」になってしまいましたとさ、ということです。
 
 
一年以上溜めた怒りをこうしてぶちまけられて満足です(自己中の極意)
 
 
 
 
 
 了。
 
原作のRewriteは本当に面白いので、アニメのBD買うよりずっと安価でおススメですよ。
 
 

ファンディスクも同封されたスペシャル版↓

Rewrite+ 通常版

Rewrite+ 通常版

 

 

SoundTrack↓「Exploration2 symphoninc Version」は屈指の神BGM

Rewrite Original SoundTrack

Rewrite Original SoundTrack